大峯奥駈道
吉野と熊野を結ぶ大峯奥駈道。1300 年の歴史をもつこの長大な修験道を歩き通すことは、数年来の憧れだった。
しかしこれに挑戦するには、季節の観点(気温・日照時間・水場の安定度)に加えて、最低でも 5 連休を取る必要があり、適機は GW しかない。ここ数年はコロナや悪天候の予報が重なり、その機会は打ち砕かれていた。
そして 2022 年、ついに連休と好天予報が噛み合い、峰入りの時がきた。

朝の吉野山の雰囲気はとても良かった。金峯山寺や水分神社も、この道中に存在する。

山上ヶ岳は現代もなお女人禁制を守る。自分が確かに男であることを無駄に確認してから気を引き締めて結界門をくぐる。

山上ヶ岳方面の景色がひらけてくる。

大峯山寺妙覚門。聖域の核心へ。

小笹ノ宿で一日目の夜を明かす。ここに到着してまもなく雪が降り始め、翌朝にはうっすらと積もっていた。

大普賢岳は狭く切り立った山頂。

目指す弥山方面。手前の急峻な尾根と、その先の穏やかな尾根の対比がよくわかる。

七曜岳を過ぎるあたりまでは、険しい岩場の道が続く。

直下の急登で疲弊しつつも、なんとか辿り着いた弥山で中休止。

弥山からほど近い八経ヶ岳を目指す。

大峰山脈最高峰にして、近畿地方最高峰、八経ヶ岳。

八経ヶ岳を過ぎれば再びそこは静寂の世界。途端に人がいなくなる。

一部、険しい斜面があるが、そこを過ぎればご覧の尾根道。

二日目は楊子ヶ宿で過ごした。
幕営適地は狭く、テントを張るスペースはなかったが、ちょうど小屋の空いていた空間を使うことができた。

三日目。釈迦ヶ岳の勇ましい山容。両部分けの難所を越えてあの頂を目指す。

孔雀ノ覗からは紀伊半島の山深い風景を一望することができる。

振り返れば遠くに八経ヶ岳。

釈迦ヶ岳頂上には、"鬼マサ" と呼ばれた強者が一人で担ぎ上げたとされる釈迦如来像が鎮座する。

銅像の台座に刻まれた念仏の文字が美しい。

釈迦ヶ岳の南側に下りていくと、深仙宿がある。明るく広い穏やかな場所。いつかここに泊まってみたい。

そしてここ太古の辻を境に南奥駈道へと入っていく。

南奥駈道は、涅槃岳のあたりまでは明るく静かな天国のような道が続く。ここは想像していなかったので、思いがけず気持ちが回復する。

持経宿では管理人の方が作業をされていた。タンクの水をもらい、林道を歩いて水場を往復する苦労が省ける。大変ありがたい。

御神木。アップダウンを繰り返しながら、道は深い森に覆われていく。

持経宿からも容赦ないアップダウンが続く。人の気配もなく、非常に孤独な道のりとなる。
最後の力を振り絞って行仙岳を登ると、今朝歩いた釈迦ヶ岳が遠くに見える。

なんとか辿り着いた行仙宿山小屋でこの日は寝ることにする。

四日目。薄雲が広がるが、今日も穏やかな天気になりそうだ。

道中いくつも立っているこの道標に、ついに熊野本宮大社までの距離を示す表記が現れた。
少しずつ終わりが近づいていることを実感する。

昨日すれ違った順峯の方から「危険だ」ということで聞いていた地蔵岳が見える。
天に突き出るようなその山容から、気持ちが引き締まる。

いくつもの鎖を超えて、峻険な岩場を登り、下りる。
特に最後の数メートルの垂直の下降は次の足場を見失って危なかった。
地蔵岳から先は再び穏やかな登山道に変わり、安堵する。

行者さんによってそれぞれの修行場に納められている碑伝。令和四年のものもあった。

玉置神社は、十津川村の奥地にあるにもかかわらず、非常に多くの参拝客で賑わっていた。

先ほど玉置神社で真水を大量に飲んだのが悪手となったか、大森山のあたりで右足の太ももが攣りはじめた。
しかし立ち止まることはできないので無理やり足を進めると、次第にその痛みも耐え難いものになっていった。

最後は足を引きずるようにして、なんとか辿り着いた六道辻。ここで四日目の夜を過ごす。ほかにも2名居合わせた。
この日の夜は非常に暖かかった。

そして迎えた五日目、結願の日。湿度が非常に高く、少し歩くと汗が噴き出る。
しかも右足の攣りは治っておらず、痛みに耐えながら気合で前に進む。

最後の霊所、七越峰。いよいよ終わりが近い。

そしてついに備崎から熊野川に出る。
サンダルに履き替え、トレッキングパンツを脱ぎ、渡渉する。
ついにこの旅が終わることを実感する。正面が大斎原の森。

日本一の大鳥居を潜る。
熊野本宮大社にて、この峰入りは結願となった。