丹沢山への入り口である大倉から、高尾山を目指して50kmの旅。
このコースは通称 TTT(丹沢to高尾) とも呼ばれ、トレイルランニング愛好家には親しまれているようだ。
今回自分もトレラン装備で望むも、あまり走れる場所はなく、下手に急ぐよりも歩く旅として楽しんだ。
翌日は都内で予定があるため立川に宿泊。そのための荷物を前夜に高尾山口駅のロッカーにデポしてから大倉まで再び車で戻るという、準備もひと手間かかる山旅だった。
歩いている時はキツかったが、翌日にもなればそのキツかった記憶は薄れ、ただ心地良さが余韻として残る。
大倉尾根から塔ノ岳を目指す。
長いと評判の大倉尾根だが、実際歩いてみるとよく整備されて気持ちのいい道だった。
今回は高尾まで歩く覚悟で臨んでいることもあり、大倉尾根単体で辟易していてはこの先もたない。
大倉尾根上部から振り返ると、市街地がすっかりはるか遠くに見える。
塔ノ岳頂上は360度の大展望で、そのなかでも主役を張る圧倒的存在感の富士山。
丹沢山に到着。大倉尾根から最初に辿り着くピークである塔ノ岳と、その先にある丹沢山系の最高峰である蛭ヶ岳の間に位置する、地味な存在感の山。
みやま山荘に立ち寄り、クラシックな見た目の手作り熊鈴に一目惚れして購入。
続いては蛭ヶ岳を目指す。相変わらず風景はすばらしいが...
一方で足元は、雪解けによるぬかるみがひどく、スムーズな歩行を妨げられ、通過に難儀した。
走るどころではなく、今回はトレイルランニングではなく歩く旅としようと気持ちも切り替わっていった。
蛭ヶ岳に到着。大倉からここまで、長い道のりだった。
高尾までの道のりを考えればまだまだ前半であるが、ここから大倉まで往復することを考えてもちょっと気持ちがつらい。
蛭ヶ岳山荘で名物「ひるカレー」をいただいて、この先の道のりに向けて英気を養う。
日の当たらない北面は雪がしっかり残っている部分がある。
蛭ヶ岳の頂上直下北面は特にそれが顕著で、軽アイゼンを何度か脱ぎ履きして通過した。
今回使用の12リットルの小さいパックでは、軽アイゼンの有無も荷物総量を大きく左右する要素になるが、持参してよかった。
姫次から蛭ヶ岳を振り返る。
蛭ヶ岳から北側に抜けると、もはや出会う登山者はまったくいなくなった。
静かなトレイルを淡々と進む。
雪は標高 1,000m くらいまで残っていた。
焼山を過ぎたあとのザレた急斜面が強烈だった。ロープがなかったら踏ん張れず、下れないと思う。
西野々に下りると、国道を横切る際に一軒のセブンイレブンがある。この存在は大きい。
ここは丹沢から高尾まで歩く際に通過する唯一のコンビニなので、ここで追加の食糧と飲料を補給する。
コンビニでは珍しく営業時間が 6-24 時のようで注意。
石砂山。いしざれやまと読む。
ここから石老山に向けてはザレた急斜面を上り下りしなければならない区間が多く、これがこの山の名前の由来なのかと何度も想像した。
やっとの思いで石老山に到着。石砂山からの急降下と急登はかなり堪えた。
このあたりで日が暮れ始める。
石老山の下りはそれまでとは異なり歩きやすく滑りにくい道で、安心感があった。
顕鏡寺まで下れば、あと少しで相模湖の市街地に出る。
相模湖の市街地を抜け、プレジャーフォレストの脇を通るようにして再びトレイルへ入ると、控えめに焼けた夕空と相模湖が見えた。
嵐山への道は完全に暗くなり、ヘッドライトをつけて進む。
何度も細かいアップダウンがあってなかなか頂上に辿り着かせてくれなかった嵐山。
頂上からは多くの車が行き来する中央自動車道がよく見えた。
写真は飛んでいきなり小仏城山へ。夜なので撮れ高がない。
嵐山から再び相模湖畔まで下りて、弁天橋を渡って住宅街を抜けて、500m の登り返しという道のりを経てここに来ている。
それにしても東京都の夜景の広大さに驚く。地平線を覆い尽くす光の海のようだった。
そして高尾山、ついにここまで辿り着いた。城山から高尾山までの道も案外距離があり、心は無の境地で歩いた。
人生初の高尾山は、夜 22 時の自分以外の誰もいない場所だった。
夜の薬王院。立派なお寺だった。
ヘッドライトの電池が 2 時間程度で弱ってしまい、城山から先はスマホのライトを頼りに進んできたが、このあたりは街灯が整備されておりライトなしで歩けて安心感があった。
大部分が舗装された 1 号路を辿って、高尾山口駅に無事到着。手元のウォッチによる計測で距離 55km、累積標高 4,200m だった。
前日の夜にこの駅のロッカーに入れておいた荷物を回収して、ホテルを取った立川に向かう。
いつか歩きたかった丹沢to高尾をこうして歩くことができて、とても満足している。